水上先生


一般財団法人国際健康医療研究所理事長
医学博士・米国公衆衛生学博士 水上 治

2 いのちの最小単位――細胞
その発生と受難、そして死 

1)日常臨床での細胞との邂逅
 いのちは美しいものです。内視鏡で見ると、消化管の内部は見とれるほど美しく、実に合理的にできているのがわかります。その中で、妙に赤い(炎症?)、変に白い(乏血状態?)、荒れている(炎症?)、出っ張っている(ポリープ?がん?)、など美しさに欠けている場所が見られれば、何らかの病変の可能性が高いと判断されます。良性腫瘍の表面はきれいであり、がんはいかにも汚らしい毒々しい塊です。

 診断確定のために、内視鏡から延ばした針金の先端の鉗子で腫瘍の一部が削り取られ、病理室に運ばれます。手間暇かけて標本が創られ、スライドグラス上の病理標本を病理医が一枚一枚丁寧に顕微鏡で見て、がん細胞があるか、どんなタイプか(腺がんか扁平上皮がん)か)、悪性度が高い(進行が速い)か、どこまでがん細胞が広がっているか、などを微に入り際にわたって判断し正確に記載します。病理学とは細胞を見て病気を正確に診断する学問です。人間の細胞は美しいものですが、がん細胞は形が崩れ、核も不整形で、いかにも美しくない細胞です。後日その結果を患者さんは担当医から聴くことになります。

 最新の内視鏡では、病変が超拡大されて各細胞がくっきり見え、核の変形までわかり、その場でがんかそうでないかを診断できるようになりました。その診断も人工知能がかなり正確につけてくれるのですから、将来病理医が要らなくなるかもしれません。古い世代の私達から見れば、革命的な進歩です。

 がん臨床とは日々の医師のがん細胞との邂逅(出会い)であると言えます。がん細胞をゼロにすることを目標にしているからです。患者さん同様、医師もできればがん細胞と邂逅したくないし、あるのは正常細胞だけであってほしいと願っているのです。このようにがん細胞の動向に一喜一憂しているのが、我々医師の実情です。